これまで見てきた深夜アニメ講評 その3
※ この記事にはアニメ作品をボロクソにけなしたり貶めたりする表現があります
自分の好きなアニメが否定的に評価されるのが嫌いな方は見ないでください
※ ネタバレもあるから、嫌な人は見ないでね♥
今回は以前書きそびれた、忘れていたアニメや重い腰上げてほそぼそと最近見たアニメについて
記憶が新しい作品が多いのでそなが~~く文章を書きました
グラゼニ
評価:D
プロ野球選手は自分の年俸と相手の年俸を比較し、引退した選手は解説者にありつけても四苦八苦……
単純な技術や、青春に拘泥した野球漫画ではない
より現実的に金銭に関して焦点をあてた野球マンガ
……で?
話として、面白さの広がりが見えずに3話見てそのまま終了
おじさんになって単純な青春マンガに琴線が触れないようになったので見る前は期待してたが、期待はずれ
THE IDOL M@STER シンデレラガールズ
評価:D
深夜アニメのシリアスパートは大別して2パターンある、と思っている
1つ目は「結束が大事」「仲間が大事」など、小学生レベルの道徳を1話かけてやるシリアスパート
2つ目は登場人物がいきなり空気読めない感じになって誰からも「うわ……なにこいつ……」と思われ場を荒らすシリアスパート
後者で今パッと思いつくのはラブライブ!やそれこそTHE IDOLM@STERだったが、まさかシンデレラガールズが前作と同じ轍を踏むとは思わなかった
登場人物の本田未央が突然空気読めない感じになって、病んで場を荒らす
散々見てきたシリアスパートである
シリアスパートの意義はキャラクターの苦悩や苦痛に対して視聴者が寄り添い、一緒に苦難をともにすることにあるはずだ
この作品ではそういった要素が一切なく「なんだか登場人物がいきなり病んでる……」「よくわからないけど涙目になってる……」と冷めた第三者の視線で眺めることしかできない
そして最後は「つまんな」と視聴をやめるのである
一体どこをどう感じ取ったらこういうのが「面白い」と感じて脚本を書くのだろう?
進撃の巨人 Season2
評価:B
前回1期と3期の講評はしていたが、うっかり書くことを忘れていた2期の講評
中盤までは「ザ・進撃の巨人」といった皮肉のきいた感じがいい
1期から時間があいて、久しぶりに進撃の巨人を見るとなったとき
ミケのアイロニーのきいた無残な死亡シーンを見て「そうそう進撃ってこんなんだったな」てなもんである
ただ中盤以降、壁内の戦闘が終わってからはちょっと退屈
ライナーが「自分巨人だから」と言い出したのは突拍子もなさすぎる(それが作者の狙いなんだろうが)
しかも数年間壁内に潜り込んできたわりには、戦果はユミルのみ、白昼堂々と姿を現したせいでエレンの確保に失敗、そしてほうほうのていで撤退と
「こいつら実は無能なのでは……?」
英国一家日本を食べる
評価:B
NHKでやっていたアニメ
原作は「Sushi and Beyond」というイギリスの料理研究家が書いた本
ここまで読んでてわかるとおり萌え要素は一切ないアニメである
焼きそば、焼き肉、天ぷら、わさび、懐石料理、といった日本の食事に外国人の視点からどうなの? と説明していくお話
「Youは何しに日本へ」的なああいう番組が好きな人はハマるだろう
ダンガンロンパ
評価:D
逆転裁判をオタク向けにアレンジしたゲームのアニメ化
こういう推理ものは事件が起こる過程や、その謎解きを視聴者にしっかり示して考える時間を与えるのが大事だと思うのだがこのアニメはそんな余地がない
矢継ぎ早にポンポン証拠が見つかって、次の瞬間裁判パートで犯人があぶり出されている
なんというか、地上波で24話分あるアニメで、信者から更に金を搾取するために1時間半に圧縮した映画版を作って見せられたときのような
とくに物語を深掘りすることなく、ひたすらダイジェスト進んでいる物語を眺めている感覚である
推理ものが好きでもこのアニメを見る必要はない、原作をやりましょう
ダンガンロンパ3
評価:D
なにか大掛かりそうな、深遠そうな物語の裏を感じるトリックを用意しておいて、蓋を開けてみたらうんちぶりぶちな内容
これは汚物ですか? いいえダンガンロンパ2です
まず希望編、ボス・江ノ島盾子がいかに希望ヶ峰学園の生徒を洗脳し、取り入ったのか
その過程が見たかったか……結局はボタンをおしてポイ、つまんな
続いて絶望編、それぞれのメンバーに独自のNGワードが与えられているわけだが、正直メンバーごとに格差がありすぎて意味不明である
「とりあえず物語が面白くなる要素としてNGワード入れました~、で、更に物語が面白くなるように、物語に都合良くなるようなものをそれぞれ入れました~~~」てな感じである
苗木誠が生きて~、とか物語のご都合主義感出すぎてて酷
影を踏まれるな、とか無理ゲーだろ
絶望編で死ぬトリックも希望編と同じ、ボタンおしてポイ、はぁ~……
名探偵コナン
評価:C
ふと「ミステリーをいっぱい知ってるのってかっこよくね?」
と中二病を発症して、かといって小説を読むのはめんどくさいので、コナンのアニメを第200話まで、アニメオリジナル話をほぼ除いて視聴したことが半年ほど前にあった
見て思ったのは、コナンも結構トリックはガバガバである
特に糸のトリックが大嫌い
トリックとして絶対に再現不可能な上に、見ていてどこがどうなっているのか、構造が分かりづらい
謎のときのシーンで「は、はあ……」とカタルシスを感じず残尿感を感じてしまう
トリックが面白かったのは8話「美術館オーナー殺人事件」11話「ピアノソナタ『月光』殺人事件」52話「霧天狗伝説殺人事件」98話「名陶芸家殺人事件」
しょうもなかったのは、34~35話「山荘包帯男殺人事件」42話「カラオケボックス殺人事件」
女の子が可愛かったのが26話「愛犬ジョン殺人事件」の被害者の彼女
動機がひどかったのは57~58話「ホームズ・フリーク殺人事件」98~99話「初恋の人想い出事件」
よくコナンの酷い動機の一つとして「ハンガーを投げられたから」があげられるが、そもそもハンガーを投げられる直前に、散々面倒見た自分の店を見限って他社に移ることについて被害者と加害者が口論しており、その言い争いが昂じてハンガーを投げたという経緯があったというわけで
もちろん「ハンガーを投げた」ことそのものが動機になったわけではない
むしろこの事件の経過から「ハンガーを投げたことが動機だった」と説明すること自体動画を面白おかしく編集しようという意図が見える
と、いうことで純粋な動機なら上にあげた2つの事件のほうがよっぽど酷いと思う
いつもと違う感じがして面白いのはコナン136話「青の古城探索事件」
少年探偵団が謎の古城で囚われの身となるのだがドキドキっとした緊張感があって面白い
ポケットモンスター THE ORIGIN
評価:B
昔懐かしい初代ポケモンに焦点をあてた、おじさん感涙のアニメ
セパルトラや、「時間じゃない、距離だ!」「あはは! そうよね」など懐かしい小ネタが満載
バトルシーンも「ピカチュウ! 10万ボルト!! 」「避けろ!」で終わるような展開ではなく、きちんとバトルしているので見ていて楽しい
散々言われていることだが、たった4話しかないのが非常に惜しい
そのため初代のゲームの内容をかなり省略しながら物語を進めている
このクオリティで26,7話あるポケモンが見てたならなあ
初代にある程度思い入れがあるのなら、見ましょう
評価:A
見返して見たラブライブ!1期
やはり高水準で完成されてあり傑作である
序盤の話の畳み掛けから、穂乃果たちと生徒会、2つの視点からの描き方、ギャグセン
仲間を集めていく喜び……ベスト・オブ・アイドルアニメで間違いない
……なぜ2期はああいうことになってしまったのか
1期終盤も穂乃果のワンマンさ、強引さでそれまでうまくいってたμ’sがその弊害が出てくる、という話の転回ぶりは面白かったけど
もうちょっとなんとかできなかったんですかね……
思えば「書きたい結末のためにはキャラクターの性格まで変える」という2期のうんざりした脚本はすでにこの1期終盤から始まっていたのだなあ
ラブライブ!2
評価:C(中盤までD)
前作は終盤の展開はともかく、全体的にアイドルアニメの最高傑作
うおー!! μ’sの活動も乗ってきたし次回作もこれは期待できるぞ!!!
そうしてやってきたのは見るも無残な前作に泥を塗りつけるゴミアニメ
ということで2期の感想
なんでこんなにも面白くなくなったのか……いろいろ原因は考えられるが
まず2期は全体的に結論ありきの話の展開が多く、そして説教臭い
最終的に「仲間が大事」「一人ひとりの役割が大事」「(Gleeに似せた)感動ものの展開」という説教臭い結論を出すためには
平気でキャラクターの性格を捻じ曲げてみたり、大吹雪の中会場までの雪かきを全部したり、さっさと「ねえみんなで新曲の案だしてみない?」といえば済むところを言わずにわざわざ遠回りしたり、とおかしいことをしでかす
そんなんだから、物語が歪んでいて、違和感に溢れた物語に感じてしまう
2期を視聴していて全体的にこの結論ありきの説教臭い部分が鼻について「無理」だった
また1期までの仲間を集めて、反対する人たちを説得して、一つになってライブを成功する、という話の展開に広がりがあって、見やすかったが
2期はその点すでにメンバーは集まっており、話の内容として安定期に入っているのだが、その安定期(日常パート)の話がかな~りつまらなかった
また2期はμ’sとしての活動の漸進性がうすーーく彼女たちが勝ち上がってる感じがしない
特に技術的な困難に見舞われることはなく、ぬるっと決勝へいってぬると勝ち上がった、そんな感じである
そう感じる原因がいろいろあるだろうが、特にμ’s最大のライバル役として登場したA-RISEに敵役としての魅力がないのが大きい
「メンバーからすごい!」「人気ある!」と言われているが、言われているだけで強敵感がまったくない
いやダンスすごいすごいて言われているけど、言うてμ’sもめちゃくちゃすごい動きしてるけど……て感じ
ちょっと話はそれるが「人を寄せ付ける魅力、カリスマ性とでも言うのだろうか。9人いてもなお輝いている……」といいながら
A-RISEのメンバーが一人ひとりμ’sのメンバーを解説していくのは
ひぐらしの「おめぇ、……戦略、戦術、…そして戦闘、…全て三拍子揃ってるぜ。(略)」というコピペを思い出してその寒さに鳥肌が立った
終盤、3年生メンバーが卒業に向かって走っていく感じはうまく描けたので評価はC
でもこれはずるい
今まで仲良くしてきた3年生メンバーがついに卒業、去る上級生と、見送る在校生たち、とお決まりの展開をうまく描けない作品のほうが、存在しないだろう
しかしメンバーに無許可で勝手にアイドルグッズを作成して販売することがまかり通ってるこの世界……どうなんだ
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話はそれるが自分はアニメでキャラクターがいきなりいっせいのせっで話し始めるシーンが嫌いである、違和感しか感じない
例えばラブライブ!2で穂乃果たちが3年生にμ’sの解散を告げるシーン
「いくよ……せー……ごめん、いくよ……せーの!」
「「大会が終わったらμ’sはおしまいにします!!」」
……それみんなで言う必要ある?
普通に穂乃果が「みんなと話し合ったんだけど、μ’sは3年生があったらやめることになったんだ」じゃだめなの?
まずわざわざ一人が言えば済むことをみんなでいうことで感動を演出する作為感、無駄さ
またこのシーンの裏でメンバーが
「あのね、ここで私がせーのていったらみんなで言って……」
「セリフはねどうしよう?」「『大会が終わったらμ’sはおしまいにします』なんかいいんじゃない?」
だとか相談しているのを想像することによる萎え
見ていて「うわー……」と血の気が引くのを感じた
もう1つ自分が「うわあ」と感じた斉唱シーンは「あの日見た花の名前を僕たちはま知らない」の最終回
めんまが姿と現した瞬間「せーの!! めんまみーつけた!!!」というシーン
見ながら「は?」と感動が薄れていくのを感じた
「めんま見ーつけた」ってなに? もう1度めんまに会いたい、もう1度めんまと直接話したい
と血眼になって探している中、見つけて最初にやったことが「見つけた」て叫ぶこととは?
……んんん???
めんまと、他の超平和バスターズのメンツは建前としては、かくれんぼをしていた
だからかくれんぼのルールにのっとり、めんまを見つけた瞬間に「見つけた」と言った
という説明はわかるが、必死に探してた友人を、なんとか見つけて最初にすることが「見つけた」と叫ぶのは、自然なことなんだろうか
大体かくれんぼごっこは急に始まったのに、じんたんがいきなり「せーーのっ!!!」て言い出したとき、よく他のみんなも口を合わせられたな
訓練されすぎじゃないか???
こういうラブライブ!にしても、あの花にしても明らかに「ほらこうすれば感動するでしょ?」と脚本家の存在を認知させる不自然さは心を急速冷凍させる
せっかくそれまで感動的なシーンをやっていたとしても台無しである
やめてもらいたい
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けいおん!!
評価:?
この前自分が書いたアニメ講評、書いてる最中は気づかなかったが、書き終わった後改めて「一貫しているなあ」と感じたことがあった
それはシャフト信者で、アンチ・ライトノベル、アンチ・京アニということである
別に意識してシャフト作品を見ているわけではないのだが、シャフトのあの独特の演出、奇妙な色使い、紙芝居、実写の取り入れ、シャフ度などの省エネ演出が、妙に自分の肌身にフィットしているみたいだ
そしてアンチ・ライトノベル、これは自分では意識している(できている)部分である
以前ぬけさくさんが配信で
「ギャルゲーとか、そういうアニメとかでキャラが『ふぇえ~』とか『にゃははは~』て言い出すのは、それはそれでええんやけど、ちょっと違和感が……」
と言っていたが、自分のライトノベルに対する嫌悪もこれに近い
ライトノベルの登場人物がとってつけたような設定でとってつけたような口癖でとってつけたような性格(しかもキモオタに対しこれうけるんでしょ感が大いにある)で喋りだすのが我慢ならない、もう寒気がするし蕁麻疹はでるし、発狂してしまう
(それでも話が面白ければ乗り切れられる
語尾ににゃーにゃーつけるキャラがいてもラブライブ!は傑作である)
と話はそれた、ラノベ・アンチに加えて自分は京アニアンチなので基本的にそのアニメを見ることは少ない
なぜ嫌いなのかというと、見る前から周りのオタクたちは「あの京アニが作るんだって!」と問答無用で名作扱いしてしまう、それが気に食わない
そんなに評価されているんだったら、わざわざ俺が見なくてもいっか、とこすれた心を起こしてしまう
だがけいおん!1期に関してはノータッチだったのだが、2期に関してはたまたま目に入ったので、視聴を少し続けたことがあった
感想は「ふーん悪くないじゃん」て感じ
唯のキャラが若干ウザイが(けいおん! が流行ってからこういう主人公をよく萌深夜アニメで見るようになった気がする……)
話の内容そのものは、傑作! というほどでもないけど、萌系日常アニメとして、面白い
生徒一人ひとりに設定を作ってたり、京アニならではのこだわりも、すごいな、といった感じ……だったのだが
周りの評価は「うおおお! けいおん! 神!!!」「マジけいおんサイコウ!!!」
「ごはんはおかずだよ!!! ぷはー!! くそ名曲っす!!!」
みたいな感じだったので「ああ……そう」と温度差を感じてそのまま見なくなった
もしかしたら今なら周囲の高評価とは隔絶された環境なので、京アニの作品も、見れるかもしれない
クレイモア
評価:D
Asmodaiが大好きなクレイモア
四肢がふっとぶ系グロ要素のあるバトル+ダークファンタジー
当時キッズだったからまったくだったけど、今見たら、面白いのかなあ?
灼眼のシャナ Ⅱ
評価:D
一体どういうものなんだろう? と気になって2期から見てみた
そして灼眼のシャナについてわかったことは
なんにも面白くないということだけでした
釘宮理恵の声で興奮できるオタクは見ましょう
ケロロ軍曹
評価:C
タママがかわいい
新世紀エヴァンゲリオン
評価:C
そんなに面白いですかこれ?
もはや宗教の領域に達しているアニメ・エヴァンゲリオン
その社会に与えた影響は計り知れないロボットアニメである――
というわけで期待してみたが……「え?」といった感じ
目の前の画面ではシンジくんがひたすらもがき苦しんでいる
なぜ自分がパイロットに選ばれたのか
そんな運命も解せずに、うまいこと使徒を倒せなかったり、クラスメイトを危険な目にあわせたりで、ウジウジと、毎日毎日あれこれ悩んだりしている
……はあそうですか、て感じ
まあシンジくんが悩む理由はわかる、こんな年齢で人類の命運を握る役目を、ある日突然押し付けられたのだから
だが悩む理由がわかるのと、シンジくんに共感できるのは全く違う
このアニメは主人公がただただウジウジしている姿を「はあ……」と眺めている、そんなアニメである
小説にしてもアニメにしても、それが数十年前に書かれていようが、舞台がSFであろうが、戦国時代だろうが、主人公が殺人犯であろうが、それが名作とされているのは、キャラクターたちの心の動きにある程度自分を重ね合わせることができるからなのだ
状況、背景、経過は違えど読んでいくと「ああそういえば自分もそういうのあるな」と自然と小説に自分の経験を投影される感覚があると「私はこのキャラクターの気持ちに共感した」と言えるようになる
だがさんざんこの記事でも書いてきたが、ラブライブ! にしても THE IDOL M@STERにしても、そしてこのエヴァにしても
共感できない主人公の悩みはただただうざいだけである
どこか遠い世界の出来事で、読み手はそこではっきりと「これは物語だな」と認識してしまう
そんなことをエヴァ好きの知人に話したら「は? そんな見方しかできないなんてあっさ(笑)」と煽られた
もう絶対2度と見ないからな
映画
ポケットモンスター ミュウツーの逆襲
評価:B
この映画絶対小学生向けじゃない
高校生以上じゃないと理解できないような内容、それがミュウツーの逆襲
大雑把な内容は自分とは一体なにか? 自分と相手とは一体何者か? という自己アイデンティティの問いかけをテーマにした問題
ポケモンらしからぬ深遠なテーマだが、実際子供向けアニメでこのような複雑な内容を
取り上げることはかなり社内の反発があったらしい
そこをゴリ押ししたのが定期放送で構成作家を務める首藤剛史である
首藤剛史は最初はポケモンの最終回について
人間とポケモン、うまく共存できてたかにみえていたが結局自らのアイデンティティ、事故の領域を問いかけ争いに発展していく……
というストーリーを考えていたようだが(ニャースはポケモンと人間の橋渡し的な存在で、だから人間語が喋れる)
このミュウツーの逆襲もそんな首藤剛史の社会派脚本を大いに反映されたものとなっている
だからこの作品、大人になった今になって見たほうがよっぽど味わい深くなっている
自分は明らかにコピーである、しかしコピー元のオリジナルはオリジナルの自信を有している
コピーである以上コピーのちからはオリジナルと変わらないはずである
にもかかわらずコピーは常にオリジナルに対する劣等感にさいなまれ、「自分とはなにか」という問いかけにつながる
ミュウツーの逆襲でそのテーマを充分掘れた……かというと結構微妙なところである
最後ミュウツーが争いをやめるシーンは「駆け足」を見ていて感じた
あれこんな終わり方なのか……見ていてきょとんとした
だがそれでも最後のカスミのセリフですべてが救われたようになる
カスミの単純だが実存的で重みのあるセリフ
これが脚本家がミュウツーの逆襲を通じて言いたかったことなんだろうな、とはっきりと認識できる
しかしこの作品、タイトルが出てくるまでの最序盤が恐ろしくつまらない
ポリゴンショックで本来映画公開前に放送予定だった話がぶっ飛んだためだが
ただひたすらミュウツーのモノローグとともにあらすじが語られる……というシーンが延々続く
小学生のときはこの時点で「うわっこの映画つまんな」と集中力が切れた
というかおとなになった今見てもこの時間はおそろしく退屈
ポケットモンスター ルギア爆誕
評価:B
前作よりよっぽど見やすくなった作品
特に難しいことを考えたくないのなら、ミュウツーの逆襲よりこっちのがよっぽどおすすめである
テーマは人間の世界とポケモンの世界
一見うまいこと共存し、そして使役できているからのようにみえる人間とポケモンだが、実際はまだまだ人が預かりしらぬ未知の領域が存在し、ポケモンの世界観の奥深さが垣間見える作品
深層海流というちょっと中二心をくすぐる存在や、人間が理解できるポケモンが一斉に行動するシーンなど世界観の魅せ方が上手
敵があっさりやられすぎて、ちょっと魅力がないのが問題だが(実際はあと10分20分あればそのシーンを入れる予定だったのだがなくなくカットしたらしい)
それでもポケモンらしい冒険活劇として完成度が高い作品になっている
ただせっかく感動してエンディング……てのに、世界観ぶち壊すこの安室奈美恵のED歌はいかんでしょ
本当はヒロインの女の子が楽器で演奏していた曲に歌を入れたものになる予定だったが
いろいろなアレで勝手にこの歌にされてしまったらしい
糞
ポケットモンスター 結晶塔の帝王 エンテイ
評価:D
それまでは名作を世に送り続けていた劇場版 ポケットモンスターだが
ここから駄作の領域に突入してしまう
首藤剛史が途中でぶっ倒れて脚本を降りた影響もあってか、前回までのような深遠な要素はほとんど抜け落ち、なんとも中途半端な作品になっている
両親を失ったミーと、母親を失ったサトシの関係にクローズアップした作品なのだが
特にその要素がうまく活かされることでもなく
「なんかいつの間にかサトシ勝ってた」で終わってしまった
タケシとカスミのバトルがきちんと描かれているのがわりと嬉しい要素ではある
しかし竹中直人の声、まったくあってねえな……
ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇
評価:D
なんか昔の世界へ行ってレアポケモン捕まえようとしているやついたからやっつけたよ
一行で終わってしまう簡潔な内容、それ以下でもそれ以上でもない
ある意味定期放送でやっているポケモンと同じ感じでいつもどおりといえばいつもどおりといえなくもないのだが
映画らしい長大なテーマやいつもと違うポケモンを見たい人がいたらがっかりだろう
ストーリーも特に目新しいものはなく、悪いやつがいたからその悪いやつを倒した
本当にそれだけである
何も面白みもない
ポケットモンスター キミにきめた!
評価:C
初代のゲームや、アニメを見ていたおじさんたちをターゲットにした映画
序盤の脚本など、初代アニメの脚本そのまんまある
首藤剛史はこの脚本を書き上げたあと「首藤さんにして本当によかった」と旧知の間柄の監督から労われたそうだが、今綺麗な映像にリメイクされたこれを見て、どんな感想を漏らすだろうなあ
中盤までのつかみはバッチリである
ポケモンをバトルさせたり、ゲットしたりする要素、ポケモンに関する職業に就きたいと願う人間がいたり、ポケモンと一緒に寝たり、バタフリーを逃がすシーンがあったり
おじさんたちが感涙するようなシーンで溢れながらも、ポケモンという作品の広がりが現れており、見ていて引き込まれる
が、終盤はだめである
それまでのポケモンという世界観の広がりが一転して「悪いものがいるからやっつけました」展開になってしまう
物語として広がりに欠けるし、おきまりの「愛情がないからポケモンが云々~」というお説教をきかされるし(いやそんなの初代でライバルが負けたときのオーキドや金銀でチャンピオンロードのライバルのセリフとかおじさんほど散々聞きましたって)
なにより勝つか負けるかという単純な二極構造にシフトしていくのがつまらない
そしてこういった脳筋一直線な対立構造は、そのまま物語の重要なキーであるはずのホウオウにまで持ち込まれてしまう
ポケモントレーナーになったばかりの頃、虹色の羽を手にして、伝説のポケモンに思いを馳せていたのに、あってしたことがポケモンバトルって
いやまあゲームのポケモンだったらそれで正解だろうけど、これは映画だし、もうちょっとなんとかならんかったんですかねえ?
ルギア爆誕だって最後は敵を倒すことが目的だったけど、裏には人間とポケモンの世界、共存、領域というテーマがあった
サトシ自身はそれをまったく理解していないでただ「悪いやつがいたから倒す」ぐらいの気持ちだったが、見ている側にはそれがはっきりと読み取れた
が、この対してこの作品は敵を倒す! 勝つ! バトルに負けた? お前の愛情が足りないからだ!!! でおわりである
もうちょっとなんとかしてくれよ
名探偵コナン 14番目の標的
評価:B
小さい頃この映画を見た時にトランプの数字、絵柄通りに人が殺害されるという設定に中二心をくすぐられた
また女性が暗闇の中で殺されるシーンは幼心にはかなりショッキングで、内容の大半は忘れても、そのシーンだけは鮮明に覚えていた
今大人の視点で見ると「殺害の動機がおかしいだろ」だとか「殺害の標的適当に選びすぎだろ」とか「こいつ商業施設にこっそり忍び込んでどんだけ爆弾を仕掛けてるねん」だとか色々ご都合主義な面もあるが、それでも名作は名作である
最初突然の殺害という謎からトランプの謎の解明、そして真犯人へのトリックへと徐々に全貌が明らかになっていく感じはまさしくミステリー映画、という感じ
名探偵コナン 世紀末の魔術師
評価:B
史実要素を取り入れて、中二心をくすぐられる名作
この映画でラスプーチンを覚えたという子供、多数日本に存在
「あかん、このままではラスプーチンの子孫とバレてまう……」
「だから殺したろ!!」
名探偵コナン ベイカー街の亡霊
評価:B
仮想シミュレーションゲーム・コクーンという中二心をくすぐる設定が良い
(昔の名探偵コナンはこういった中二心をくすぐる設定を用意するのがうまい気がする)
仮想空間で
19世紀のロンドンが舞台、シャーロック・ホームズの登場人物と実際に話せる、ジャック・ザ・リッパーの正体を突き止める、といった子供心に
「俺も入ってみたいなあ……」
と願ってみたキッズも多いのではないだろうか
ただミステリー部分は結構微妙である
ジャック・ザ・リッパーの追い詰め方も、現実世界での真犯人の追い詰め方も、盛り上がりに欠けてピリッとしない
しかし真犯人役の声優、英語にもかかわらずはっきりと分かるほど大根である
名探偵コナン 水平線上の陰謀
評価:B
評価はBだけどこれまでのコナン映画とは明らかに格が落ちる評価B
小五郎のおっちゃんのまさかの活躍や、真・真犯人の存在などこれまでのコナンと違った目新しさがあるのが特徴
「さっき女の子に見とれてたんだろう」「ちょっとトイレ休憩」など、小五郎のダメダメさを張っておいてそれに対比する感じで最後きちっと決める感じがよき
ただトリックは全体的にこれまでの作品より「モヤッと」感が高い
コーラの爆発からスタングレネードを連想、無理がある
(崖に転落させるだけならブレーキに細工とか色々あるじゃん、なぜ一直線にスタングレネードなの?)
またとってつけたような説教臭い内容も鼻につく
そういうのいらないんだって
そうすれば話に厚みが増すとでも思った?
名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌
評価:D
駄作
まず腕輪をしている少年探偵団+蘭たちに命の危機が迫っている実感が、いまいち足りない
(例えば主要登場人物でない誰かボンと爆発させれば危機のリアリティが出たのに)
メイン筋も服部平次とコナンが事件の謎を解決しようとあちこち周るのだが、一つの現場に行ったら順当に解決して、一つの現場行ったら解決して……ただただ伝言ゲームのようにあちこち指定された場所を廻ってるだけ
もうちょっと謎が謎を呼ぶ感じにしてほしいなあ……
ミステリー面でもパニック面でも完成度が低い、よっぽどコナン映画のファンでない限り見なくて良い
他にもコナンの映画は色々見てきたけどこの記事で載ってるアニメと同じ時期に見たのがこれだけなのでコナンはおしまい
魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語
評価:B
地上波アニメでどんでん返しの展開を繰り返して、高評価を得たまどか☆マギカ
その続編となるアニメではそれと同等か上回るようなちゃぶ台返しをしなければ、きちんとした後継作品になれない……
ということできました、バンバンバンと畳み掛けるような新展開
地上波でのまどか☆マギカが好きだったら、見ましょう
最後の最後のアレは……賛否両論ですが、期待は裏切らないはずです
シャフト(イヌカレー)の独特な演出も健在でシャフトファンも絶頂の一作品です
上に書いてあるアニメと同じ時期に見たのでジブリもきちんと書くよ
耳をすませば
評価:C
見るともれなく陰鬱な気持ちになる、鬱アニメとしてネットでミーム的な存在だが
大人になるまで実際に見たことはなかった
なので「ほほうどんな話なのだろう」と期待してみたわけだが、これがまあ
いたって普通の少女漫画アニメです
特に傑作というわけでもなく、かといって駄作というわけでもなく(男の子が日本を離れる理由が「ヴァイオリン職人になるため」といういかにもな理由が「うっ」となるが)
あんまり「感動したい」だとか「癒やされたい」という目的でも、見るようなものではない
絵はきれい
風の谷ナウシカ
評価:D
金曜ロードショーでやっていたので、チャット欄でゴキブリと一緒に鑑賞
内容は……覚えてない
もののけ姫
評価:C
自然を人間の征服の対象化として侵食する文明と、それをよしとせず抗う自然側
……とまあ小さい頃から1000回は似たような構造を見てきた内容のお話
そして最後は自然を征服しきれず手痛いしっぺ返しをくらう……というのも含めてすごく既視感がある展開です
世界観の構築はすごい、森には少女、狼、イノシシ、そしてキモい顔のししがみさまなどバラエティ豊かな面々がいる
それでいて森が森の中で独自のルールをもち、そして生活している、という感がある
生活感がまったくないなんちゃって中世が大好きななろう小説とはえらい違いである
ただ話の内容自体は、全体的に説教臭く、またその内容も散々小さい頃から繰り返し見てきたようなものであるため、さして感動も、驚きもない
人間は自然を対象化して発展してきたってことです
平成狸合戦ぽんぽこ
評価:C
つい先日金曜ロードショーでやってきたぽんぽこ
たぬき界独特の世界観や、目新しさに面白いと感じるのは中盤まで
開始から1時間経ったら話は停滞し、新鮮さはなくなる
たぬきたちは開始30分でしてたことと似たようなことをして、失敗をする、これの繰り返し
そこでこの映画の飽きがくる
風呂敷を広げることはできたけど、それをきちんとした時間の尺にたためなかったアニメ
評価:D
絵はいいけど話はさして面白くない、というジブリアニメのテンプレートみたいなアニメ
映画 けいおん!
評価:A
知っての通り自分はけいおん! をあまり真面目に見たことがない
だがこのアニメはいつだったかの正月だか、クリスマスだかの深夜に放送されてたので、たまたま見た
「すごく面白い!」
と感じた
そもそも見る前は日常アニメの映画化てどうなの? という思いがあった
だって内容がないのが日常アニメの特徴である
そんなものを映画という長尺でやって、果たして絵がもつのだろうか?
だがこの映画を見てその思いは見事に裏切られた
日常感っぽいゆるい雰囲気を残しながらもロンドンという未知の場所をメンバーが探検している感じがとてもよい
それでいてきちんとメインストーリーもあって、視聴者が飽きることのないよう内容に厚みがある
けいおん! に興味がなくてもいいかもしれない
もし自分が日常アニメが好きだという自覚があるのなら、もれなくこのアニメはおすすめです
ラブライブ! The School Idol Movie
評価:E
アニメの大成功から日本中に吹き荒れたラブライブ旋風、紅白に出場まで果たした
そして次に出来上がったのはラブライブ! 2期
駄作だったが3年生の卒業感動パワーにより終盤はんとか持ち直した
そしてその次に公開されたのが飛ぶ鳥後を濁しまくり、盛大に下痢便発射したこの駄作である
究極につまらないこの映画はラブライブ! 1期を愛した者たちへの冒涜にほかならない
まずけいおん! を意識したかのような序盤のニューヨークパート、かなりつまらない
けいおん! にはそこで彼女たちが生活している感があった
日本で、同じようなできることではなく、ロンドンでしかできない日常パートがきちんと成立していた
……が、ラブライブ! にあっては申し訳程度の外国要素があるだけ
普段日本でやれることのラベルを上からそのままニューヨークって貼り付けただけのそんなしょうもないパートである、ニューヨーク生活感はない
また穂乃果が迷っているときにアドバイスをくれるCV:高山みなみの女性シンガーキャラが物語のキーパーソンとして出てくるのだが、このキャラが本当にくだらない
ニューヨークで偶然出会ったこのキャラクター、人としてほとんど深掘りされることなく、何も人物らしい実感もなく
脚本家にとって都合のいいセリフをいうだけの女である、今この記事で書いてるどのアニメ映画にもここまでくだらないキャラクターはいなかった
君がなにか悩み事をしているとする、すると突然高尚そうな男がやってきて、説教をたれてくる
こんなこと日常生活にあったら君は「は?」と思うに違いない
それで「なるほど、それはそのとおりだ」と納得するのは神話か作られた偉人の列伝のどれかである
このキャラクターはまさにそんな感じの女である
この女についてほとんど何もしらない、穂乃果がニューヨークで迷子になったとき、偶然彼女と出会い、ストリートシンガーとして活動している、ということだけ知っている
にもかかわらず、なにか説教臭いことを垂れてそのまま映画からフェードアウトしてしまう
完全なるご都合キャラである
あの大ヒット映画・ホームアローン2ではどうだったろうか、一人ニューヨークの街で家族と離れ離れにはったケビンは公園で鳩おばさんと出会う
最初鳩おばさんは異様な出で立ちでケビンに恐怖を感じさせたが、時間がたち話し合っていくと実は心優しき善人だとわかり、ニューヨークで寂しい思いをしているケビンの心の支えになってくる
そのときになったら、我々は鳩おばさんがケビンになにか心の持ちようについて講釈を垂れても、いらつくことはない
我々は鳩おばさんについてよく知っており、彼女がどんな人生を歩んできて、どんな思いをケビンに抱いているか、各々が想像できるからだ
さて話を高山みなみのキャラに移そう、この女はどんな人間か我々はわからないし、どんなものか想像する余地すらない
そんなキャラは都合よく穂乃果が迷っているときに現れ「飛べるよ」というクソどうでもいいアドバイスを送って去っていく
面白みもキャラクターとしての魅力も含蓄も、なにもかもが最下層である
大体そのアドバイス、そして穂乃果が悟りを開く展開がつまらない
要は「自分を信じて」というくだらないJ-POPの歌詞で100万回は使われてきたことを穂乃果はさんざん時間をかけてきて悟るわけである
お前その程度のこと5分ぐらいで着想しろや
最後は穂乃果たちは全国にいるスクールアイドルと歌って踊りたい、ということでμ’sが計画に着手することになる
最後3年生が卒業し、μ’sが解散し、後ろ髪を引かれる思いで幕を閉じた2期の終わり方も良かったが、映画ではWe Are The Worldみたいにみんなで斉唱して終わるのかな
それはそれで微笑まくしていいかな、と思って眺めていたら
結局最後のシーンで歌って踊っているのはμ’sのメンバーだけである
背景でモンタージュのコピペした、スクールアイドルとおぼしき人体が申し訳程度に四肢を動かすが、ただキモいだけである
映像はただのμ’sのワンマンライブに他ならず、それまで「みんなで歌っておどろう」という穂乃果たちの活動に賛同してきた視聴者の心を見事に裏切るものである
これは実際見てもらったほうが早いだろう、下にあるのがそのシーンである
これは果たしてμ’sが他のスクールアイドルと一緒に歌って踊っているといえるだろうか?
それともμ’sのキャラクターの背後でバックダンサーらしきマネキンがうごめいている、というべきだろうか?
日常パートの出来も、新たに出てきたキャラクターとその絡み方も、最後の終わり方も
すべて見事に駄作に振り切った作品、ある意味このような作品に出会えるのは貴重
自分はあまりにつまらなすぎて途中数十分見るごとに休憩し、休み休み視聴したが
こんなものを映画館でぶっ通しで見るという拷問に直面した人がいる、ということを想像すると震えてしまう
本作はラブライブ! のブランド価値を著しく下げる、まごうことなき駄作である
クレヨンしんちゃん ガチンコ! 逆襲のロボとーちゃん
評価:C
名作を作ろうとして名作になれなかったアニメ
序盤このアニメを見たときに「あ、ミュウツーの逆襲だ」と感じた
ロボとーちゃんは、生身の野原ひろしのコピーである
それどころか、仕事の効率ではオリジナルのひろしを上回っている
しかしみさえが示したように、世間で受け入れられるのはオリジナルのほうである
オリジナルと同じように喜怒哀楽を感じるのに、ロボとーちゃんはとーちゃんにはなれない
悲しいのに涙を流せない、と嘆くシーンが哀愁を誘う
まさにミュウツーの逆襲で見た展開である(それだけこのアイデンティティというテーマが広く扱われている題材、ということだろうが)
自分は確かに存在する、自分は自分なりに自分のことを自負しているが、周囲受け入れられるのはオリジナルのほうである
同じように悲しいという感情を抱くのに涙を流せないというだけで、同じように気持があるのにロボットの体ということで、オリジナルと差をつけられてしまう
そんなロボとーちゃんのアイデンティティを問うた作品に見ていて心が惹かれた
この時点ではこの作品がどんな結末に持っていくのか、興味深かった
この時点では
が、結末はなんというか、すごく期待はずれで「なんでこんな終わり方したの?」て感じである
人間の脳がアルゴリズムであり、一定の法則に基づいてニューロンを発火させるのなら、電子を一定の法則、アルゴリズムで流すAIと一体どれだけ差があるのだろうか?
人間の脳の研究が進むに連れ、脳は段々と「魂」や「精神」なものでは決してなく極めて機械的なものだとわかってきている(らしい、受け売りである)
ロボとーちゃんにもオリジナルと同じように感じ、考える(ロボとーちゃん≒オリジナル)という描写を散々示しておいて、結局ロボとーちゃんは負ける
コピーは結局オリジナルに勝てない、まさにロボとーちゃんが感じてきたロボット差別をそのまま返したような結末である
この映画は小難しい考えや理論ではなく直感や、感覚的なもので「ロボットと人間は全く別だ」と言いたげだ
そしてそれらは「従来的」なものでありみさえが散々示してきたものである
救いはない、ロボットは所詮人間に隷属されるものであり、操作される側である
ロボットは残酷にも殺される、そのシーンも気に食わなかった
結局人間一体どのようなシーンで感動するだろうか? まず間違いないのは誰かが死ぬシーンである、ロボとーちゃんの制作スタッフもそのようなシーンを作りたかったに違いない
でも野原一家を殺すのはまずい……では誰を殺すか?
擬似的にもうひとりのひろしを作り上げて、そいつを殺せば、野原ひろしを殺す物語になり、感動シーンの出来上がりである
この映画はそんな「人を殺せばとりあえず感動するでしょ?」的なノリが気に食わない(関係ないが麻枝准はもうアニメの脚本を書かないでくれ)
問題点はまだある、中盤以降父ゆれ同盟という組織ができあがり、働くお父さんの惨状にスポットを当てた
家庭で居場所がない、女性と違って割引がない、満員電車が辛い……などその主張には「確かに」と感じるほど一定の説得力はあった
一体どう解決していくのだろう……
敵のボスを倒したら自動的に世の父親たちは和解しました
は???
いやいやいや、さんざん中盤から終盤にかけて、働く父親とその苦悩ついてテーマをあてておいて、いきなり敵のボスロボットを倒したら、最後エンディングでいつの間に解決……!? え、え、え……??? これは一体どういうことですか???
とまあ見てきたように全体的に浅いアニメ
序盤ロボットと人間との同一性を示唆しておきながら、その対比を生かすことなく
ばっさりロボットを切り捨てる展開が嫌い(別にロボットが最後負けたから問題といってるわけではない、念の為)
世間一般では「感動する」と評価が高かったらしいが、理解できず
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イラスト:punikiman